●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》

●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》

 (20210627[])
マガジン9のコラム【雨宮処凛がゆく! 第558回:コロナ禍、不自由な日々の中で突き刺さる「無実の罪で獄中29年」、桜井昌司氏の言葉。の巻】(https://maga9.jp/210519-1/)。

 《不満を燻らせていたところ、ガツンと頭を殴られるような一冊に出会った。それは4月に出版された桜井昌司さんの『俺の上には空がある広い空が』(マガジンハウス)。桜井昌司さんの名前を知る人はどれくらいいるだろう。彼は無実の罪を着せられ、29年間を獄中で過ごしたという「冤罪」の人だ。20歳から、29。20代、30代のすべてを、殺人の濡れ衣を着せられて刑務所で過ごさざるを得なかったのである。そうして事件から実に44年後の2011年、無罪が確定。すべての始まりは、1967年に起きた布川事件だった》。

   『●『冤罪File(No.10)』読了
   『●冤罪デモ
   『●『自然と人間2010年2月号』読了
   『●『冤罪ファイル(2010年10月号)』読了
    「里見繁氏、「布川事件再審公判傍聴記――確定判決から30年余り
     時を経て、今ようやく再審の幕が開いた――」。「この事件を一言で
     言えば「検察の証拠隠し」である。最新請求の審理の過程で百件を
     超える隠蔽証拠が開示された。…。一審から最高裁、再審請求の
     地裁から最高裁合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を
     見過ごし、検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべき
     かもしれない」。「ところが警察と検察は、桜井さん、杉山さんの
     二人に結びつかない証拠はすべて隠した」。
     桜井昌司さんと杉山卓男さん」

   『●布川事件の記録映画、……そして、………………
    《布川事件、再審無罪 発生から44年 水戸地裁土浦支部
    《映画「ジョージとタカオ」を観て 刑事司法の病理を体現する
     ふたりの中年男》
    《水戸地裁土浦支部は05年、「鑑定書が確定審の審理中に提出されて
     いれば有罪認定に合理的疑いが生じた」と述べ、再審開始の決定をした。
     検察側は即時抗告したが、東京高裁は08年、11カ所の中断が
     みられる桜井さんの自白の録音テープについて「取調官の誘導があった
     ことをうかがわせる」と指摘。検察側が新たに開示した「現場宅で見た
     のは杉山さんらではない」とする目撃証言も考慮し「確定判決の判断を
     維持できない」と認定した。最高裁も09年に再審開始を認めた》
    《弁護側は、検察側が2人に有利な証拠を再審請求審まで明らかにして
     いなかったことを「証拠隠し」と非難。裁判所の責任についても
     「冤罪(えんざい)の根絶のため、有罪になった構造を解明すべきだ」
     と求めてきた》

   『●強大な氷山の一角としての冤罪発覚
   『●東電OL殺人事件元被告マイナリさん、
       冤罪15年間への償いはできるのか?
    《▼「新証拠なんかじゃない。検察が隠し持っていたんですよ」。
     決定後の記者会見で昨年、再審無罪になった布川事件桜井昌司さんが
     憤っていた。血痕が付着したコートなどの不利な証拠を出し渋り、
     DNA鑑定にも二の足を踏んだ検察の姿勢が冤罪(えんざい)
     生んだのは明白だ》

   『●冤罪(その2/2): せめて補償を
   『●またしても裁判所は機能せず、闘いは高知高裁へ:
       高知白バイ「冤罪」事件、地裁が再審請求を棄却
   『●「戦後70年 統一地方選/その無関心が戦争を招く」
      『週刊金曜日』(2015年4月3日、1034号)
   『●「検察・警察も冤罪防止のために“前向き”」?
     …刑事訴訟法の「改正案が成立すれば、新たな冤罪を生む」
   『●検察による恣意的・意図的な証拠の不開示、
     証拠の隠蔽や喪失、逆に、証拠の捏造…デタラメな行政
    《布川事件で再審無罪が確定した桜井昌司さん(72)の訴えを認めた
     二十七日の東京地裁判決は、警察官の違法な取り調べや検察官の
     証拠開示拒否などがなければ、「遅くとも控訴審判決(一九七三年)で
     無罪判決が言い渡され、釈放された可能性が高い」と捜査機関に猛省を
     促した。弁護団からは「画期的だ」との声が上がり、
     桜井さんは捜査機関の在り方を批判した》
    《桜井さんと同じ冤罪被害者も訴訟を支援した。大阪市の女児死亡火災で
     再審無罪となり、自身も国賠訴訟中の青木恵子さんは「桜井さんから
     希望をもらった」と喜んだ。いまだ再審の扉が開かれない袴田事件
     大崎事件に触れ、「順番に勝っていってもらいたい」と望んだ》

   『●飯塚事件…《しかしもっと恐ろしいのは、そんな誤りを認めず、
     国家による殺人を無かった事にする国家の強引さだろう》(清水潔さん)
    「ついでと言っては何ですが…桜井昌司さんについて…
     《清水潔… 【放送告知】強盗殺人容疑で有罪判決を受け、
     罪を償わされてから冤罪が明らかになった男性をカメラが追いました。
     裁判の間違いを裁判所が認めるまでに38年。ようやく潔白を手に
     入れて今度は10年で末期がん宣告です。壮絶な人生を描く
     ヒューマンドキュメンタリー。》」

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https://www.ntv.co.jp/document/backnumber/articles/18940v6mzkfe29llw8xf.html

NNNドキュメント ’21

2021年4月18日(日) 24:55
濡れ衣
~闘い続ける余命一年

強盗殺人犯として逮捕された男。検察は都合の良い証拠だけを使い無期懲役判決が下る。29年間投獄された男は、仮釈放から14年後にようやく無罪となった。この「布川事件」で潔白を勝ち取った男だったが、今度はがんにより余命一年の宣告を受けた。今、残された時間で冤罪被害者を支援し、濡れ衣を着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている。事件を20年以上追跡してきた日本テレビの映像により壮絶な人生に迫る。

ナレーター/石井康嗣  制作/日本テレビ  放送枠/30分

再放送
4月25日(日)5:00~/24:00~ 日テレNEWS24
5月2日(日)8:00~ BS日テレ
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 検察による恣意的・意図的な証拠の不開示、証拠の隠蔽や喪失、逆に証拠の捏造…デタラメな行政。布川冤罪事件の桜井昌司さん、《警察官のうそと検察官の証拠独占が冤罪を生む》と。強大な権力には政治判断=忖度を乱発し、一方、弱者には厳格・冷酷な司法判断…最「低」裁を頂点とする司法の堕落。

 日テレNEWSの映像資料【冤罪「布川事件」 29年間を獄中で過ごした桜井昌司さんとジャーナリスト・清水潔に聞く】(https://www.youtube.com/watch?v=WueXQENEeYA)によると、《強盗殺人事件「布川事件」の犯人として濡れ衣を着せられ、29年間を獄中で過ごした桜井昌司さん。冤罪はどのようにして作られたのか? 日本の刑事司法の問題点は? ジャーナリスト清水潔さんとともに話を聞いた。 ※桜井さんの闘いを追ったNNNドキュメント【濡れ衣 ~闘い続ける余命一年~】は、5月15日からHuluにて配信予定》。


【冤罪「布川事件」 29年間を獄中で過ごした桜井昌司さんとジャーナリスト・清水潔に聞く】(https://www.youtube.com/watch?v=WueXQENEeYA

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https://maga9.jp/210519-1/

雨宮処凛がゆく!
第558回:コロナ禍、不自由な日々の中で突き刺さる「無実の罪で獄中29年」、桜井昌司氏の言葉。の巻雨宮処凛
By 雨宮処凛 2021年5月19日

 「この一年、コロナのせいで季節の思い出もイベントの思い出も何もない」
 「人生、むちゃくちゃ損してる気がする」

 そんな声を耳にすることがたまにある。

 私自身も、自粛自粛のかけ声の中、時々うんざりする気持ちが込み上げる。「人となかなか会えない」「会食もできない」「旅行もできない」「海外なんてもってのほか」という日々が一年以上も続いているのだ。多くの人がストレスを抱え、不自由さに理不尽な思いを募らせている。

 唯一、「よかったかも」と思ったのは、自分が40代であることだ。

 もし、私が20歳の頃にコロナ禍が起きていたら……。「遊びたい盛り」に在宅を命じられるストレスは今の何百倍にもなっていただろう。そう思うと、「若者の軽率な行動」がメディアでことさらに非難されていることに同情したいような気持ちも少し、沸き起こる。同時に思うのは、もし20代前半とコロナ禍がかぶっていたら、私は決して物書きにはなっていなかっただろうということだ。

 なぜなら、20代前半はバイトをしながら「何者かになること」を目指していた時期だったからだ。いろんなイベントや集まりに行って、すでに「何者か」である人たちとがむしゃらに知り合い、刺激を受けていた。誘われた会には極力顔を出し、自分の「やりたいこと」「できること」はなんだろうと日々模索していた。生活費は、バイトで稼いでいた。

 そんな生活をしていた頃、コロナ禍が直撃していたら。せっかく東京でいろんなチャンスを掴もうにも、人と会う機会もイベントもないのであれば、高い家賃を払って東京にいる意味がない。しかも生活費を稼ぐためのバイト先も壊滅的な打撃を受けている状態。おそらく、コロナ禍での東京生活は半年と持たずに実家の北海道に帰っていただろう。そう思うと、若い世代に与える影響は、上の世代以降とは桁外れのものに思えてくる。

 それでも、40代の私も「損失」を日々感じている。

 軒並み中止となった講演会で、思いを共にする人々と出会う機会がなくなった(なのでたまにリアル講演会があるとすごく嬉しい)。コロナ前はよくしていた路上飲みもしていない。何より、人と会っていないので、気を抜くと「自分だけ仲間はずれにされている」感覚に陥ってしまう。何か「忘れ物」をしているような、宙ぶらりんな喪失感。そんなものを一年以上、抱えている。

 不満を燻らせていたところ、ガツンと頭を殴られるような一冊に出会った。それは4月に出版された桜井昌司さんの『俺の上には空がある広い空が』(マガジンハウス)。

 桜井昌司さんの名前を知る人はどれくらいいるだろう。彼は無実の罪を着せられ、29年間を獄中で過ごしたという「冤罪」の人だ20歳から、29年20代、30代のすべてを、殺人の濡れ衣を着せられて刑務所で過ごさざるを得なかったのである。そうして事件から実に44年後の2011年、無罪が確定

 すべての始まりは、1967年に起きた布川事件だった。今から54年前の8月、茨城県北相馬郡利根町布川で当時62歳の男性が殺され現金が奪われたのだ。

 同年10月、逮捕されたのが当時20歳だった桜井さんと、当時21歳だった杉山卓男さん。厳しい取り調べの中、あの手この手で自白を強要され、桜井さんは嘘の自白をしてしまう。そうして桜井さんと事件を結びつける物証はひとつもないにもかかわらず、無期懲役が確定してしまったのだ。

 20歳から29年間、自分がやってもいない殺人の罪で囚われの身となる――。誰にとっても、「人生で絶対に起きてほしくないことナンバーワン」ではないだろうか。しかし、桜井さんのすごいところは、それでも決してくじけなかったことだ。31歳で無期懲役が確定した時はさすがに「これで俺の人生は終わった」と思ったものの、前向きな気持ちを取り戻す。「今日という日は社会にいても刑務所にいても、どこで過ごしても一日しかない。ならば刑務所へ行っても、一日一日を人生の一日限りの今日として大事に生きよう」と決めたのだ。

 そうして「今なすべきことを全力でなせ」という思いで生きてきた。それまで一度も真面目に働いたことがなかったという桜井さんは、「刑務所では真面目に働いてみよう」と決め、靴工場で誰にも負けない作業量をこなした。それ以外にも父に仕送りするため、自己労作と呼ばれる「内職」もする。

 しかし、理不尽に獄中に囚われる日々の中、時々、「頭が爆発してしまう」ほど「自由になりたい!」という思いが押し寄せることがあったという。そんな時、桜井さんは深呼吸して、「俺の上には空がある。広い空がある。自由な空がある」と心を鎮めたという。

 そんな獄中生活を支えたのが、桜井さんの無実を信じる弁護団と支援者たち。が、再審請求は何度も棄却されてしまう。

 事件から29年後、仮釈放となって「シャバ」に。獄中にいる間に、母も父も亡くなっていた。が、無実の自分を信じ、見返りを求めず支援してくれた人々を裏切らないよう誠実に生きていくことを決め、地元の工務店で働く。99年には支援者だった女性と結婚し、01年、54歳の時には第二次再審請求。05年、再審開始が決まり、事件から44年後の11年、64歳でやっと無罪が確定したのだ。

 桜井さんと初めて会ったのは、4年前。17年5月に日比谷公園で開催された集会でのことだった。この日集まったのは、桜井さんの他に、90年、栃木で起きた「足利事件」で女児殺しの犯人にでっち上げられて17年を獄中で過ごした菅家利和さん(2010年、再審で無罪が確定)。63年、女子高生が殺害された「狭山事件」で逮捕され、31年間も獄中生活を送った石川一雄さん(再審請求中)。そして66年、一家4人が殺害された「袴田事件」で犯人とされ、48年も獄中に囚われていた袴田巌さんの姉・秀子さん。

 この4人を合わせた獄中生活の期間、なんと125年!

 「冤罪オールスターズ」と呼びたくなる面々が集まり、いまだ無罪が確定していない石川一雄さんの無実を訴えたのだった。

 その時会った桜井さんの印象は、一言でいうと「メチャクチャ明るい人」。ハイテンションで常にみんなを笑わせるムードメーカー的存在。しかも歌が好きで、なぜかCDデビューまで果たしているということだった。

 そんな桜井さんが癌の告知を受けたことを最近、テレビ番組で知った。ステージ4の直腸癌で、何もしなければ余命一年だという。桜井さんはこれまでの人生を考えた時の心境を、本書で以下のように書いている。

 「20歳で冤罪となって29年間の獄中生活、社会に戻り結婚。詩集と自作のCD作成、善意の弁護団と支援者に支えられての再審無罪、ドラマチックな数々の出来事を思うと、『俺の人生は楽しかった、満足だった、有り難かった』と思えた。このまま死んでも充分笑って死ねると思ったのだ」

 桜井さんは満足していても、やっぱりもっと、生きてほしい。そして冤罪についてだけじゃなく、桜井さんの超絶ポジティブなメンタルの保ち方について、もっともっと、発信してほしい。もっと詩も作ってほしいし歌ってほしい。勝手ながら、そう思う。

 桜井さんは現在、74歳。この6月、桜井さんが国家賠償を求めた控訴審の判決が出る予定だ。

 まずは判決を見守りたいと思っている。そしてぜひ、多くの人に、本書を読み、桜井さんの言葉に触れてほしい。

 「一度限りの人生と今日。ならば明るく楽しく」

 囚われの身だった桜井さんの言葉には、コロナ禍を乗り切るためのヒントが詰まっている。

     (「冤罪オールスターズ」の皆さんと。左から、桜井さん、
       袴田秀子さん、菅家さん、石川一雄さん、私)


雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。格差・貧困問題、脱原発運動にも取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『ロスジェネのすべて』(あけび書房)、『相模原事件裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』(太田出版)。「反貧困ネットワーク世話人、「週刊金曜日編集委員フリーター全般労働組合組合員。
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